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クラリサエコネット
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あれから15年
2010年 01月 17日 |
今日で阪神淡路大震災から15年。。。あれから15年か・・・早いなあ。

あの震災の日私は高校の修学旅行で長野にいました。朝起きて友達がテレビをつけると神戸の地図に赤いマークがついていて、一瞬何が何だか分かりませんでした。地震だと分かって皆で公衆電話に走り、自宅に電話をしましたが誰一人繋がる者はおらず、パニックになりました。


テレビで親戚の家の周辺が火事になっている様子が分かった友達もいました。それはもう皆で泣きじゃくっていました。
そんな時なのに先生は「こんな時こそ皆が元気にスキーを楽しむことが親を安心させるんだ」と言い、嫌がる私達をゲレンデに出したのでした。あの時は「親と連絡もとれないのに安心も何もあるか〜!」なんてこと言うんだと憤慨していましたが、今思うと気を紛らわすことができて、多少は良かったのかも!?と思います。

泣きながらリフトに乗り、滑り降りる時だけスキーに夢中になり、部屋に戻ってテレビを見て泣いて・・・のくり返しでした。

翌日には家族と連絡がとれる者も増え、東北からバスを手配して修学旅行を切り上げて帰ることになりました。学校まで無事たどり着けるか、何が起こるか分からないので覚悟するようにと言われ、確か夜出発したような気がします。

無事学校に着きましたが、学校はひどい状態でした。窓ガラスは割れ、机も椅子もひっくり返って、壁にはひびが入っておりました。建物は残っていましたが、その後建て直すことになり私達はプレハブ校舎でした。私は音楽科に通っていたのですが、音楽棟の練習室を見てびっくり。。グランドピアノが横に飛んでいたらしく、両サイドの壁に穴があいているのです。スタインウェイのピアノの足も折れていました。

両親がなんとか通行できる道を探して迎えに来てくれて帰ったのですが、その帰り道は驚愕の景色でした。道を走っているのだけど、視界が広い、道路ワキにはずら〜っと瓦が続いているのです。あの時は感覚が麻痺していて、途中で「あ、家がぺちゃんこになっている・・・」と気づいたのでした。ビルも横倒しになっているし・・・それから怖くてどのくらいかけて帰ったのかなど記憶がとんでいます。

我が家の近所は被害も少なくほっとしましたが、水道、ガスが止まっていたかな。しばらく給水車が持って来てくれる水を使っていました。

それから数ヶ月まだまだ恐怖は続きました。ずっと救急車の音が鳴り響いて、テレビを見ると地獄絵図だし、余震もあるし、そのころの日記を読むと切迫した感じが伝わって来ます。

私は神戸の端から西宮の学校まで通っていたので2ヶ月くらいは学校へ行けませんでした。三宮から代替バスが走るようになって通学が始まりましたが、またこれが凄かった・・・・三宮の駅周辺は大きなビルが倒れているし、高速道路が横倒しになっているし・・・。代替バスからの景色は凄違う世界を見ているような不思議な感じでした。そんな通学路で、片道4時間くらいかかってしばらく学校に通いました。

幸い、私達の学年は修学旅行に行っていたこともあり全員無事でしたが、他の学年の生徒や先生のご家族が数人亡くなりました。あの揺れを体験していませんが、破壊力だけは嫌という程見せられ、地震はとてもとても恐ろしいと感じます。

経験していないと分からないことだと思うのですが、どうか皆さん油断せず、寝ている所に落ちて来たり倒れたりして凶器となるようなもの(笑)を置かない、引っ越す時は家の耐震性を少しは気にする、緊急時に家族とどう連絡をとるかなど、気をつけることはたくさんあると思います。

今日は久しぶりに15年前の記憶を辿りました。亡くなった方々のご冥福を祈るばかりです。

by taco-akashi | 2010-01-17 21:35
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